1122(いいふうふ) 第1話

1122(いいふうふ)

ネタバレを含むざっくりとした相関図&あらすじ

相原一子(高畑充希)と二也(岡田将生)は結婚7年目の夫婦。夫婦のコミュニケーションはしっかりとれている。セックス以外。結婚記念日の旅行で久々にお誘いをする一子を拒否する二也。「俺、好きな人いるの知ってるよね。」と。性欲が凪である一子は、過去に二也からのお誘いを断った際に「風俗とかでどうにかできないかな」発言。心が折れた二也は好きな人を作り、それに気づいた一子は家庭に恋愛を持ち込まない等のルールを条件に公認していたのであった。婚外恋愛で心が潤い、余裕ができた二也は優しいし、お茶だってご飯だって用意してくれる。ただ浮かれている。恋が駄々洩れている。それが一子を悶々とさせる。婚外恋愛状態を友人に相談したところ、やり取りの中で「じゃあ、一子にも婚外恋愛の権利があるってこと?」と問われ言葉を濁す。「夫も妻も不倫をすれば一緒にいる意味は?」と考える一子だが、浮かれ二也にイラつき、心の余裕を取り戻すため女性風俗の予約を開始するのであった。

一子と二也、それぞれの人となり

一子

片づけは苦手。最後にお風呂に入ったのが一昨日だったり、身の回りのことをおざなりにしがち。行動力はあり、行きたいと思ったお店や宿の予約は率先してする。

二也に対しては甘えており、世話を焼かれている。

言葉は率直。自分の感情をきちんと言葉で説明できる。

二也

一子のお茶やご飯の準備してくれるし、自分が遅くなる時は「戸締りしっかりね」と伝える世話焼きたタイプ。

非を指摘された時は素直に謝れる。

二人の欲求に対するとらえ方の違い

一子にとって性欲は「凪」で、たまにさざ波が発生しても水面に消える。自分が受け止めきれない分の欲求を二也が外で発散することは「処理」で愛情は発生しないと思っていた。

二也にとって、営むことは愛でること。愛情があるから欲求が生まれる。愛情のない行為はできない。

感想

一子に拒否された二也がお花を習うようになって元気になっていったのはすごくわかる気がします。

彼は触れて、愛でること、それを許されることに喜びを感じる人だと思うから。花には自由に触れることができる、手間をかけることができる。そうやって愛でる欲求を花の方へと移していったのは自然なこと。

一子は二也が、もう自分には触れないと宣言したことで、初めて自分が受け取れない分の欲求が外に向いたのではなく、自分がそういった対象として必要とされなくなったことに気づきます。

全部いらなくなったわけじゃなかった。でもそうさせてしまったのは自分だから傷つくのはだめだ、と考える一子は理性的な人で私は好感が持てます。彼女にとって、性欲はないけれど「好きな人」は二也だけなんですよね。だから、自分の欲求を外で発散させようとした時も「処理」できる人(五代)を選ぶ。一子の中の気遣い。

恋愛に浮かれている二也を見るほど、「もやもやする」と表現していますが、「悲しくて、寂しい」ですよね。言う権利がないから言えないって、つらいなぁ。

一子が発したレスのきっかけとなった言葉は本当にひどいし、二也の心が折れてしまうのも分かる。自分の愛を受け入れてくれる人を外に作ることも。

ただ、一子が考えたように「夫も妻も不倫するなら一緒にいる意味は?」なんですよね。

外で発散することで家庭にて心の余裕が生まれるって、裏を返せば期待せずに他人として接しているから波風たたないのでは?関心がないからどう行動しても気にならないのでは?一子は今、二也の行動が気になりまくっているので関心がないわけでない。次回、おそらく一子のターンで彼女が風俗に行くことになった時、自分が受け取れるはずの欲求が別の誰かにのみ使われた時、二也はどうなるのか?続きが楽しみです。

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